抑留されているとき、同じ苦しい境遇の友を思い、また
多分 自分自身も、生きる希望を捨てないために、「作らざるを得なかった」戦後も、歌い継がれる曲を作った作曲家が、
こんな風に語っていました。
「遠く 異国の地で 果てた、友のかわりに 一生懸命生きて参りました」
その痩せた まじめそうな老作曲家の人生は、彼だけのものではなかったのでしょう。彼は本当に、そう生きてきたのだと、感じました。
祖国に還る 春を 夢見て、叶わず 異国の地で 散っていった、同胞たちの「命」の分も、
彼は、一生懸命生きてきたのだと、わかります。
私だけの命でない
そういう思いで、懸命に生きること・・・
そういう人生を、生きてきた人もいるのだと、
胸が熱くふるえました。
そういう思いで、繋がってきた「今」を、懸命に生きなければ・・・
私も、そんなふうに、思ったのでした。
個人としても、過去世~今世~来世 と、魂は 連なっていき、
もっと一体として、ルーツ 民族 同じ時代に生きるもの達・・・・
そういう風に、繋がり
続いていきます。
私たちは、大いなる 奇跡の世界に、存在しているのですね。
なぜそんなにも、疲れてしまったのでしょう?
ひとびとの期待に応えなければ、私たちは価値がないのでしょうか?
幼いとき、まだ何も知らないとき、私たちが頼るべき人たちは、自分以外の何者かになることを、無意識に強いたのかもしれません。
その人の期待に沿わなければ、自分は「愛されない」、「価値がない」、「評価されない」と思ってしまったかもしれません。
けれど、私たちは、自分以外のものになることは出来ず、またその必要もありません。
罪悪感は捨てましょう。
愛を送り、そして受け取ることこそが、重要なことなのです。
まず自分を。
自分が「愛」で満たされ、溢れ出た「愛」で、私たちの周囲は潤います。
あなたも、私も
尊い価値ある「私」です。
わたしを
あなたを
愛しています。
たくさんの言葉よりも
何時間もの対話よりも
ただ愛をもって 背中をさすってもらうだけで
ほっと 安心する
そういうことがあります
おとなになっても
幼いときのように
安心して身を委ねられる人に
背中をよしよしと なでてもらう
そういう時間が 時には 必要なのかもしれません
こういう感覚を 求めるのは
「感覚」が 重要な意味をもつ 牡牛座かも・・・
昼、肉体を使って現実世界で活動し、
夜、肉体を休めて、夢の中で全体の意識の中へと、還っていきます。
夢の中では、「自己」というものは不確かとなり、様々なものが流れ込み、混沌としたものに溶け、混ざり合います。
夢の中では、皆 魚座の領域へと、還っていくのです。
分離は、「一体」へと戻り、本来ならエネルギーをチャージします。
分離感は、幻想であることをわかる時間なのです。
心地よい夢の中へと還り、再生するために、この時代にともに生きるそれぞれが、私たち一人一人の心を、マネージメントしていく必要があるのでは
寝苦しい今日この頃、そんな風に感じます


心地よい香り
心地よい肌触り
心地よい部屋
美味しい食べ物・・・
牡牛座は心地よい楽園を、創造します。
まずは、心の中に・・・
そして、それが現実世界に投影されて、牡牛座の生きる世界は 「楽園」となるのです

